ひとりごちる。

頭が弱くなってきたアラサーが脳の活性化を図るブログです。

5.おかあさんだから

どうも、ゆず丸です。

 

昨日途中まで書いていたのが消えてしまい、

心折れて書けませんでした。

 

自分改革の一環として、

airClosetに登録してみました。

あこがれの人は相変わらず見つからないですが、

自分の知らない自分を見つけられる気がして・・・。

初回Box届くのが楽しみです。

 

さて。

ちょっと前に話題になっていた、

『あたしおかあさんだから』

という歌ご存じでしょうか。

とあるお母さん像を歌った歌なのですが、

世のお母さんからも独身女性からも批判が殺到していた、

との記事をみました。

 

歌詞の一部をみてみますと、

一人暮らししてたの おかあさんになるまえ
ヒールはいて ネイルして
立派に働けるって 強がってた

今は爪きるわ 子供と遊ぶため
走れる服着るの パートいくから
あたし おかあさんだから

あたし おかあさんだから
眠いまま朝5時に起きるの
あたし おかあさんだから
大好きなおかずあげるの
あたし おかあさんだから
新幹線の名前覚えるの
あたし おかあさんだから
あたしよりあなたの事ばかり
 

『あたし おかあさんだから』というフレーズが多様されていることもあり、

「呪いだ」「怖い」だったり、

お母さんと対比して描かれている一人の時のエピソードをふまえ、

「独身女性を馬鹿にするな」だとか

色んな意見を目にしました。

 

なぜ突然そんな話をしているかというと、

ここ2日ほど、特に娘に振り回され疲れたときに、

ふとこの歌の話題を思い出したのです。

絶賛イヤイヤ期の娘は、

まだ私の言うことを完全に理解してくれないし、

思ったことが通らないと騒いでいけない場所でも

ギャーギャー騒いでしまいます。 

まだ完全には一人でご飯は食べれないし(すごい勢いでこぼす)

振り回されている私は、まさにこの歌のお母さんの心境。

イライラもしますし、

一人でゆっくりしたいなぁって思うときもあります。

だけど、やっぱり娘のことが一番なんですよね、

自分のことより優先しちゃう。

 

私なりに、この歌について解釈してみました。

この歌を聴いて、

私はそこまでマイナスなイメージは持たなかったです。

 

『立派に働けるって 強がってた』

ってフレーズはひっかかりましたけど。

強がるってなんだ?

私お母さんだし、フルタイム勤務してますけど、

強がって働いてるわけではないけどなぁ??

 

この歌に対し、母親はこうあるべきだと押し付けられている気がする、

と思うのはなんだか被害妄想が過ぎる気がするんですよね。

とあるどこかにいる『おかあさん』が、

子供のことを考えて生きてる今が幸せだよ

って歌じゃないんですかね。

すべての『おかあさん』に新幹線の名前覚えろって言ってるわけじゃない。

 

先ほど引用した部分以外のところで、

『好きな事して 好きなもの買って

考えるのは自分のことばかり』

というフレーズがあるのですが、

そこを抜き取って、独身女性が

「自分のことしか考えてないわけじゃないわよ!」

と怒っているようで。

んー、ちょっと言葉のチョイスが過激ですよね、この部分。

そのあとの、

『今は服も子供も 全部子供ばっかり』

との対比なんだと思うんですけどね。

すべて子供に捧げなさい、って話じゃなくて、

この歌は、一番最初に考えることが子供のことになったよ、

っていう変化と、そのことは子供のことを愛しているから、

決してつらいことじゃなくて幸せなことだよ、

ってことを伝えてるんだと解釈しました。

だから、100%子供、100%自分、の【ば(っ)かり】ではなく、

何か選ぶときの、基準が

まず子供を優先するか、それとも自分か、

って意味で使っているんじゃないかと思うのです。

だから、

この歌はけっして母親が子供のことしか考えていない、

自分のことを考えて生きるな、と言ってるわけでも、

独身女性が自分のことだけしか考えていないと言っているわけでも、

ないと思うんです、私は。

もちろん、自分以外に優先すべき基準がないわけではないと思います。

でも、この物語ではそこに触れる必要がないんです。

登場人物は自分と子供だけの歌だから。

だって、独身でも家族のこととか仕事の取引先のこととか、

優先して考えてるよ、ってことまで話し始めたら、

『おかあさん』だって、夫のことや家族のことや、

働いてる人は仕事先でかかわる人を優先して考える瞬間はあるはず。

でも、そこは、この物語にはあえて登場させず、

自分ひとりしかいなかった人生に、

子供ができて、自分が変わったよ、

ってところを強調したかったんだと思いますよ。

 

歌詞って、文章じゃないから、文字数は限られてるし、

少ない文字の中で物語を伝えなくちゃならないと思うんですけど、

だからこそ言葉のチョイス次第では受け取り手の自由度の高さゆえに、

伝えたいこととは違った解釈を生んでしまうんでしょうね。

 

ただ、

『愛しているから』というフレーズを入れていないのがおかしい

とか

『おとうさん』は育児しない状況を表しているのか

といった意見に対しては、

それは違うんじゃないかな、と思うわけです。

 

 

直接『愛している』というフレーズは使ってないけれど、

この歌には子供への愛情があふれてると思いませんか。

だって、『おかあさんになれてよかった』ってフレーズがありますよ。

親としての義務として子育てしている『おかあさん』だとしたら、

子供のことを優先している日々に対し、『なれてよかった』なんて言わない。

『夜中に遊びに行く』『ライブに行く』『自分のために服を買う』

『それ全部より おかあさんになれてよかった』です。

これを愛情と言わず、何というのでしょう。

私も、振り回されて疲れてイライラして、

でも娘の寝顔を見て、溢れ出る愛おしさに、

まぁ、いっか。となるわけです。

 

『おとうさん』が出てこないのは、

母親だけに育児をさせている状態を示しているわけではないでしょう。

子育てを二人でしていることを描きたいのなら、

別の歌を作ればいい。

この歌で伝えたいことはそこじゃないと思うので。

先ほども言ったように、

おとうさんをあえて登場させないことで、

子供へのあふれんばかりの愛情を、

表したかったんじゃないのかなぁ。

 

ま、これは一つの意見です。

私の解釈が正しい、と言いたいわけではありません。

ただ、まさに手のかかる年齢の子を育てている私にとっては、

『おかあさんになれてよかった』

という愛情いっぱいの歌に聞こえたんだよ、

という話でした。

 

ま、私だって自分のこと考えてますよ。

服、届くの楽しみだなー。

 

yuzu○